水中を飛ぶ

漫画・本・映画・ゲームなどの感想。メルストプレイしています。自分のキャラ模索中。

【感想】正解するカドの終わり

 正解するカドを最終話まで観た。

以下感想。

 

 最終話で全部持って行きましたね!いかにも野崎まどの作風という感じでした。

 

私は最初、この物語は「未知の存在に遭遇した時に人類はどのように対応していくのか」ということがテーマなのだと勝手に思っていました。昨年公開された映画「シンゴジラ」ですが、これはゴジラという人類の認識外の脅威に対して、日本政府と官僚が政治的に対処していく様子を描いていました。「正解するカド」も、突如現れたカド、そしてヤハクイザシュニナという未知の存在とそれから与えられるありえざる物体に対して、人類がどのように対処し、折り合いをつけていくのかを描くのかと。実際、無限の電力をもたらすワムに対する対処の描き方は、このようなテーマに沿ったものだったと思います。

しかしその後、異方の感覚をもたらすサンサ、そして異方の腕として慣性・重力などを制御するナノミスハインについては、何というか、その辺の描写が、雑……。と感じざるを得なかったと思います。サンサなんか衛星放送で全世界に広げるって、絶対に反対勢力出ただろうし、そこのところをきちんと描写・解決せずに広めるのはどうなの?と感じ、実際このようなテーマではなかったのだろうな、と思いました。

 

この物語の転換点は、第9話でしょう。ヤハクイザシュニナの目的が「情報不足を解決するため人類を異方に連れていくこと」だと判明。それに対して真道が迷いを見せたのを確認した瞬間殺しにかかるザシュニナ。カドを破り間に入って異方存在である正体を明かし、対抗する沙羅花。ここで「何だこりゃ」となった人も多いのではないかと思います。物語当初想定していたテーマと乖離したストーリーを観て、すげえ面白いと思うか拍子抜けだぜと感じるかが、この物語に対する印象を決めたのではないでしょうか。

 

全体として、必要な描写と不要な描写の仕分けがきちんとできていなかったように私は感じました。SETTENのサンサ公開後の対応。異方の感覚を得た人とそうでない人が生活していく中で発生するすれ違い。なぜ沙羅花はカドに突入する前に品輪博士がカドを破る技術を開発するのを待っていたのか、その際壊れた指輪の意味は。最後の人類全てを異方に連れて行くことを強行するザシュニナに対して真道と沙羅花がとった作戦の詳細。最後の彼女が育っていく様子。結局、正解とは何だったのかなどなど、描写してほしかった点(というか私が気になったところ、観たかったところ)がたくさん有りすぎです。頑張って2クール取ってもっと詳細な、深いところまで突っ込んだ話にしてほしかったの言うのが正直なところでした。

 

ともあれ、最後の1話の真道の策に関しては観たとき鳥肌が立ちました。最後の章で読者・視聴者をぶっ飛ばすようなプロットは流石の一言です。というかあの策を考案して協力を花森に依頼し、自分は後を託して逝った真道も、それまでの人生を捨てて16年を作戦のために費やした花森も、お前ら人間じゃねえだろという覚悟の決まりっぷりでした。

 

お気に入りのキャラクターは品輪博士とマスコミの言野さんです。この二人は未知に対して全くブレを見せませんでした。言野さんの最終話でのセリフ「事実を報道することが俺たちの正解だ」は情報を扱うメディアとしてのプライドが見えて熱いです。あと品輪博士の「ちょっといってきます」

 

第0話のような交渉官としての真道たちの物語ももっと見たかったですね。この話だけで退場するのはもったいない。スピンオフ小説や設定集が出るのであればみたいです。

「進歩って何か分かる? 自分を途中と思う事よ」